いまだに「4ねん2くみ ささきえりさ」と刺繍してあるタオルを愛用しているエリサです。
参考日記>>ガーゼバスタオルで省スペース収納
私は現在、平均的な日本人女性と比較すると少ない持ち物で生活していると思います。
家具は折りたたみベッドとハンガーラックと着物用の引き出し。
洋服は28枚、靴は5足、書類はファイルケース1つに入るだけ、など。
年々減って、どんどんミニマムになっていっています。
参考日記>>所持服28枚すべて公開します[トップス12枚]
ここに至るまでたくさんの物たちとの別れがありました。
物への愛着が強い子
私は子どもの頃、物への愛着が強い子でした。The photo is an image
愛用していたペンケースをなくしてしまったときは、ペンケースがどこかでさみしい思いをしているような気がして切なくてたまらなかったのを覚えています。
お気に入りのお洋服が焦げてダメになってしまったときは、ずいぶんと長い時間泣き続け、3ヶ月くらい思い出しては悲しい気持ちになっていました。
(子どもの頃の記憶なので、実際はもっと短かったのかもしれません)
持っていた自転車や家電製品には名前をつけて呼び、「今日も一緒におでかけしようね」「録音ありがとう」などと友達のように話しかけていました。
その一方で物をがさつに扱い、同じ時期に購入した弟のものよりも傷が多くついていたり、電化製品のコードが断線してしまったりということもありました。
基本的にはがさつなのだと思います。。。
手放すことを受け入れるように
そんな風に、がさつに扱いながらも物への愛着を持っていた私は、物を手放すのがニガテでした。ひとつ捨てるたびに、その物が悲しんでいる様子が目に浮かぶのです。
その感覚は、薄まりはしたものの大人になってからも続いていました。
でもあることを経験するうちに、手放すことを受け入れられるようになっていったのです。
それは、人との別れでした。
一度は一生離れたくないと思った人との別れや、お互いのより良い人生を思っての別れ。
最初は生きていけないのではないかというくらい悲しみに打ちひしがれても、時間の経過とともに「これでよかった」と思えるという経験。
ただ一緒にいれば良いわけじゃない、お互いがより良い人生を送るために時には別れも必要。
その感覚は物にも影響し、「ただ所有すればいいだけじゃない、大切にできないのなら手放すことも必要だ」と思うようになりました。
目の前の痛みの先に、より良い未来が見えるようになったのです。
物を捨てる痛み
数えきれないくらいたくさんの物とお別れを繰り返した今でも、物を手放すときにはスッキリ感とともにせつなさを感じます。ゴミ箱行きになった物には「今までありがとう」を、リサイクルショップや誰かの元に行くことになった物には「今までありがとう、行った先で良い活躍ができますように」というような言葉を添え、手を合わせて送り出しています。
(そういえば日常的に出るゴミにはしていませんでした、やってみたらなにかが変わるかも)
物が少なくなると余裕が生まれるからか、メンテナンスをしたり様子を気にかけて扱ったりすることが増えてきました。
捨てる痛みを知っているから、大切にできる…そう感じています。
---エリサ/魔法使いのシンプルライフ